今週のみ言葉と説教要旨


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今週のみ言葉と説教要旨

今週の説教要旨

2012.05.20
「聖霊の油が注がれる」イザヤ書61章1~3節

日下部牧師  先週の17日はイエス様の昇天された日でした。そして約束の聖霊:イエスの身代わりの御霊(パラクレートス)降臨は27日です。その備えとして、今朝はその聖霊について旧約から見ます。

①イザヤ預言について:イエス誕生から750~800年前にイザヤによって「メシアに注がれる主の霊」について語られています。メシアの歌とも言われ、救い主イエスを信じる者、貧しい者に良い知らせ(福音)が与えられ、傷ついた者にいやしが与えられると言うのです。

②自由と解放が与えられる:レビ記25:10「50年目を聖別して解放宣言」がされるたのです。有名な「ヨべルの年」です。捕囚され、人が解放されるのです。嘆いている人が喜びに変えられるのです。

③教会が、クリスチャンが聖霊に満たされる:皆が命の御言葉を語り、一つとなり、町に向かって祝福を宣言します。真の命が回復して救われる魂が起こります。喜びの知らせが各所から届くのです。あの初代教会の恵みが、私達の教会にも満たされるのです。


5月

2012.05.13
「ハンナの祈り」 サムエル記上1章12~20節

 今朝の礼拝は「母の日」特別礼拝です。お母様方に感謝して守らせていただきましょう。世界中の教会が母の日礼拝を守っています。

①母の日の起源:1908年にアメリカのウェスト・ヴァージニア州のウェブスターという町の小さなメソジスト教会で、ジャービス夫人の追悼記念会が行われたことに起源します。娘のアンナが母の好きだったカーネーションを飾り守りました。皆さんが感動したのでした。それから広がったのです。

②聖書上で代表的な母の例と言われる「ハンナ」を取り上げました。ご主人はエルカナ(神が所有した)です。彼には2人の妻がおり、ハンナには子供がおらず、ぺニナには複数の子供がいた。ハンナは思い悩み、祈ったのです。そして主の前に請願を立てたのです。

2012.05.06
「主の召命に従う尊さ」 エレミヤ1章4~10節

 5月はナザレン神学校月間です。献身者奨励のメッセージをするように言われています。今朝はエレミヤの召命について学び、各自が全員「献身」の思いを持ち神様に仕えましょう。

①イザヤ、エゼキエル、ダニエルと並び、4大預言者と言われるエレミヤについて学びます。エレミヤは「ヤーウェ(主)は建設する、彼は主によって高められる」と言われました。BC7世紀末、エルサレム陥落、捕囚前後の大預言者でした。

②神によってエレミヤは選ばれていたのですが、若いからと神からの召命に戸惑いをみせたのです。しかし主は全てを知った上で召されたのです。当時の堕落を鋭く糾弾した為に迫害されたのですが、神の愛と真実を確信して主張を貫いたのです。

③わたしが共にいるから「恐れることなく、わたしが命じた事を語れ。」と主は言われ、救いはわたしがすると言われた。エレミヤに再建の為の神の権意が委ねられました。


4月

2012.04.29
「建設者ネヘミヤ」 ネヘミヤ2章1~5節
説教者:鈴木龍生 師

①城壁の再建 2:12
ネヘミヤは、「私の神が、私の心を動かして」城壁再建というわざに召されたことを確信していました。
ネヘミヤは祈りの人、行動の人でありました。
実に城壁再建は祈りなしにははじめらなかったのです。
4:14 
神のご事業はいつも建設することであります。サタンは破壊者です。

②新しい共同体 8:1
律法の言葉を聞いた時、民は皆泣いていました。
今日の講壇が最も必要とするものは聖書の説教であります。
使徒17:11~12
ヨハネ5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
使徒4:22

③活動を継続  6:3
ネヘミヤ記に見るように、私たちの信仰生活、また教会の建設という信仰と奉仕の生活の途上においても必ず妨害があります。
ネヘミヤは祭司ではありません。今日で言えば、一般信徒です。
私たちは奉仕をするため、教会の建設のために働かせてもらうため、いつでも「はい」とすぐに応じられる用意をしておきましょう。
12:31
狐1匹の体重に耐えられないと、馬鹿にされた城壁でありましたが、今や大きな聖歌隊が行進できるほど強国になりました。
マタイ27:39~42
.ルカ9:62 するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、後ろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

2012.04.22
「エマオの途上の2人の弟子の開眼」 ルカ24章13~16節、28~35節

 今朝の礼拝も復活関連の出来事です。主イエス様が復活された日の夕方のことです。故郷に帰る2人の弟子に同伴される旅人(イエス様)との交わりと食事を通して、霊的に開眼する弟子の姿に教えられます。私達も霊的に生かされましょう。

①失望してエルサレムから故郷のエマオ村に帰る2人の弟子の心境と、私達の心はかけ離れているでしょうか。無関係と言い切る事は出来るでしょうか。その道は人生の道でもあるのです。

②イエス様が傍に来られ、別の姿で一緒に歩いて下さっているのに、彼らの目は遮られていて主イエス様だと分からなかったのです。聖書の解き明かしをして下さっても分からなかったのです。でも心が燃えて来ていたのです。不思議な経験です。

③夕食の時に、イエスはパンを取り、祝福してこれを裂き彼らに渡されました。「彼らの目が開かれ、イエスだと分かった」のです。イエスが共にいて下さった事と、御言葉の備えがあった事、パン裂きによりイエスと一体となった事が開眼の導きになった。あなたも霊的な目を開いていただきましょう。

2012.04.15
「主イエスとの再会と命令」 マタイ28章16~20節

 イースターを終えまして、主イエス様は復活のお体をマリアや弟子達、500以上の人々に40日間に渡って現わされ、昇天されました。その10日後に約束の聖霊が豊かに注がれました。それがペンテコステ(聖霊降臨日)です。

① マタイ28章とマルコ16章は平行記事です。イエス様の公生涯での大切な3つの働きは、宣教と教育と癒しでした。今日はその中での「宣教」という事です。弟子つくりと大宣教命令を出されました。弟子達はガリラヤに行き、山に登り、主にひれ伏した。

② 全ての人を弟子とし、洗礼を授け、教えを守るように教育する。大切な弟子づくりがガリラヤから始まり、全ての民に広がるのです。イエス様は昇天後のことを考えておられたのです。

③ 弟子つくりには3つの段階があることが教えられます。洗礼のためのしっかりした教育です。次に訓練のための教育です。最後に良い働きをするためのリーダー養成です。イエス様も「これらをまもるように教えなさい」と言われました。個人の家庭や生活の場で「聖書教育(聖書の教え)」をしっから学ぶことが重要です。

2012.04.08
「主の復活の喜び」 マルコ16章1~8節

 「イースターおめでとうございます」主の祝福が豊かに有りますようにお祈りいたします。先週は受難週でした。イエス様が私達の罪を一身に負うて十字架に掛かり、死んで下さいました。そして3日目に復活されました。十字架の死と復活は信仰の中心です。
① 週の初めの日(日曜日)の朝早く3人の女性は墓に行ったのです。地震が起こり、入り口を塞いでいた大きな石は転がされ、墓に入れた。2人の天使の若者がそこにいたのです。女性たちは大変驚き恐れた。番兵も震え上がり、死人のように硬直した。
② 天使は「驚くことはない。あの方は復活してここにはおられない」と言った。ギ語で有名な「エーゲルセー」と言う言葉です。また復活は「アナスタシス」と言う言葉です。
③ 女たちに次のように言われた。「弟子たちに会い、主は死者から復活されてガリラヤに行かれる。あなたがたもガリラヤに行きなさい」と告げなさいと。弟子たちはなかなか信じなかった。あなたはどうでしょうか。

2012.04.01
「イエスの死と私たち」 マルコ15章33~41節

 本日は棕櫚の聖日(パームサンデー)と言われ、イエス・キリストがエルサレムにロバに乗って入城された日です。受難週には入りますが、本日は群集の歓呼の声に迎え入れられた時です。

① エルサレム入場について:人々は「ローマ帝国からの支配と圧政から解放してくれる王」として、期待して「ホサナ、ホサナ」と歓声を上げて迎えいれたのです。通られる道に各自が服を敷き、棕櫚の枝を切って引き、またかざして歓迎したのです。

② 歓呼の声をした人々は、期待に応えられないと知ると、わずか数日後には「イエスを十字架につけよ」と叫ぶのです。ユダの裏切りと不当な裁判でイエスはむごい十字架刑に処せられるのです。

③ ビアドロローサ(悲しみの道)を十字架を背負い、ゴルゴタの丘で朝の9時に磔になり、12時には全地が真暗闇になりました。3時には「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(詩篇22:1)と大声で叫ばれ、ついに息を引き取られたのです。イエスの死は私達の贖罪でした。その感謝を持って聖餐式に与りたいものです。

平成23年度・下半期

2011.7月~2012.3月

3月

2012.03.25
「ゲッセマネの祈り」 マルコ14章32~42節

 いよいよイエス様は最後の晩餐を終え、ゲッセマネに行き「最後の祈り」をされました。ユダの裏切りによる捕縛、そして裁判、十字架に架けられて行くですが、その心は如何がでしたでしょうか。

①あの有名なスポルジョンは「救主の試練の時の祈り・・・それは孤独な祈りであった。愛する3人の直弟子からも離された・・・」と言う。「油絞り」と言われるゲッセマネで、汗がまさに血の滴るように流れ落ちたのです。苦渋のイエス様の祈りでした。

②3人の弟子は眠りに陥り目を覚ませていることが出来ませんでした。主が死ぬばかり悶え苦しみ始めておられるのにです。神からも人からも見放された孤独なイエス様の姿です。私達はどのように見たらよいでしょうか。あなたの罪の赦しの為なのです。

③十字架の死の苦しみはゲッセマネから始まったのです。精神的な極限の苦しみ(苦痛)でした。カルバリでは肉体的な極度の苦痛でした。眠り続ける弟子に「もうそれでよかろう(ギ語でアぺケイ)」と言われた主は、十字架の道をたどられるのです。

2012.03.18
「苦難の僕(しもべ)」 イザヤ53章1~6節

 レント(受難節)も深まり、4月1日は受難週、6日は受難日、8日はイースター(復活日)を迎えます。今朝も受難節の題です。

①旧約聖書のイザヤ53章は有名な「キリスト預言」と呼ばれ、「苦難の僕」の内容です。キリストの受苦と贖いが預言されています。
人間の罪の贖いが、祭壇に供えられる子羊に例えられるのです。

②その僕イエス様は、人々から侮られ、捨てられた上に痛みと病を負うたのです。それは私達の背き、咎、罪のためであったのです。

③神の小羊とはイエス・キリストを指すのです。人間の罪に対する贖いとして、イエスが生贄(いけにえ:アグヌス・デイ)として血を流して死んで下さいました。第二イザヤが預言するのです。

2012.03.11
「過越しの食事とユダの裏切り」 マルコ14章21節

 受難節の中で有名な「過越しの食事」の出来事と、弟子であるユダの裏切りの記事です。先週に続き4福音書に全部出て来ています。
ユダ一人だけが裏切り者のようですが、他の弟子達もやがてイエス様を裏切ることになるのです。私達は無関係でしょうか?

①「過越しの祭り」は旧約の出エジプト(出エジプト12:1~20)を記念する大切なユダヤの祭りです。エルサレムの全ての家庭では過越しを守ります。昔、イスラエル人がエジプトで奴隷だった時に神が不思議なしるしを示し守られた事を記念するためです。

②過越しの犠牲を捧げる日で、エルサレムの市内各所に祭壇が設けられ、祭司たちがその犠牲を聖別し、奉献したのです。その捧げた小羊を各家庭に持ち帰り食するのです。犠牲の小羊こそイエスです。

③2階座敷でイエス様を囲み、最後の晩餐が行われたのです。イエスは「この中に私を裏切ろうとしている者がいる」と言われた。ユダの内通はイエスには分かっていたのです。普通には言えば私達は「ユダは何と悪い裏切り者」と糾弾してしまうのが普通でしょう。主を裏切るのは私達、いや私かもしれないのです。祈りましょう。

2012.03.04
「高価な香油を注いだ女」 マルコ14章3~9節

 今月から受難節メッセージ(先月22日から受難節)に入ります。今日の内容は4つの福音書全部に記載されています。一人の女の人(マリア)のイエス様に信仰を第一として尽くす姿に見習いたい。

①ベタニアにおける一人の女の人の行為が、今朝の中心点です。ベタニアはエルサレムの東南約3Kmのオリブ山麓の小さな村です。有名な3兄姉の家と、その近くに皮膚病を病むシモンの家が有りました。その食事に招かれたイエス様と弟子達でした。

②そこへ一人の女の人が大変高価な純粋のナルド(ギ語でナルドス)の香油を石膏(アラバストロン:雪花模様)を割りイエス様に注いで、葬りの備えをしたのです。なんと麗しい行為でしょうか。

③その行為を弟子たちは「無駄、貧者に回せ」と憤慨して言う。イエスは「なぜ女を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのに」と言われ、埋葬の備え(終油)という尊い行為を指摘された。人の思いでなく、神を第一とする事を学びたいと願っています。

2月

2012.02.26
「わたしに倣う者となりなさい」 Ⅰコリント11章1~6節

 神の教会は国や民族ではなく、神の民、礼拝共同体として選ばれ召された者たちの群れです。ルターは「キリスト者は自己自身に生きないで、隣人において、またキリストにおいて生きる」と言う。

①パウロは常にキリストに倣いて働いてきました。それだからこそ「あなたがたも私に倣いなさい」と言えたのです。ラテン語で「イミタチオ・パウリィ」と言います。この言葉は「イミタチオ・クリスティ」(キリストに倣いて:ケンピス)から来ています。

②教会、集会における秩序の問題を述べています。ほむべき事はほめ、叱責すべきことに対しては叱責します。言い伝えられた伝承を守って行くことにたいして評価する。

③ キリスト者実生活においては、不十分な点があり、指導、訓練が必要と言う。創造の秩序がが問題とされる。具体的には礼拝時における「かぶりもの」に対する男女の問題であった。今も時代を超えて礼拝出席の姿勢、その心は大事です。

2012.02.19
「すべてに神の栄光を現す」 Ⅰコリント10章29~33節

 何事をするにしてもイエス様は常に父なる神の栄光のためにされました。それは生活全般に及びます。衣食住、伝道、働き等です。

①食べる事は生活に基本ですが、神様は何を食べてもいいが、もし他者の良心と信仰が損なわれる恐れがあるなら避けなさいと言う。ある面ではクリスチャンは、十字架によって罪から解放され、この世の伝統や習慣からも自由にされています。真に感謝な事です。

②24節に「自分の利益ではなく他人の利益を求めなさい」とありました。ややもすれば逆にクリスチャンは「自己中」に陥りやすい事が多いのです。「私が、わたしが」と声高に叫ぶのです。神様が見えないのです。神様の栄光になるように心掛けたいと思います。そうすると神様も共にいて支えて下さいます。

③人々に躓きや、惑わす原因を与える存在にならないようにしなければならないとパウロ先生は言います。神の黄金律(マタイ7:12)の実践。教会、家庭、社会の全領域に於いてです。

2012.02.12
「聖餐式の意味」 Ⅰコリント10章17節

 本日は大切な聖餐式についてパウロは述べています。当時は晩餐と呼ばれていました。その起源、意味、目的について学びましょう。
11章、12章も関連記事が出てきます。でも22日からレント(受難節)が始まりますので、3月からはその関連記事に入る予定です。

①イエスが十字架にお掛りになる直前に弟子たちと「過越しの食事」を共にされました。そのパンと杯が聖餐式の原点になりました。エジプトでの奴隷生活の中で、災いや病や神の裁きが通り過ぎたと言われています。それは各家庭の鴨居や玄関に小羊の血を塗った事で実現したのです。奴隷からの解放の記念をも表しています。

②聖餐の意味ですが、パンがキリストの体(十字架の上で裂かれた)を表し、杯(ブドウ液)はキリストの流された血(十字架の上でやりで突かれてわき腹から流れ出た血)を表します。

③聖餐の目的は、一つはこのキリストを覚えること、もう一つはキリストを告げ知らせることです。キリストと一つとなり、キリストにあって皆一つとなることを表します。

2012.02.05 (鈴木龍生 師)
「キリストによって生きる」:ヨハネによる福音書6章57節

  キリストを持つことは、生命を持つことであり、キリストの賜物を受けることは、生命を受けることであります。

①聞く者は生きる
 キリストの言葉を聞く者は、永遠の命を持つと言っています。

②食べる者は生きる
 キリストとの生き交わりは聖餐式において教会が経験するところであります。
 いのちのパンであるキリストに出会う時、人は命と力とに満ち溢れます。

③信じる者は生きる
 キリストを信じる者は復活し、永遠の命を得ます。信じる者にとって、
 肉体の死は、すべての終わりではなく、永遠の命の始まりであります。

2012.1月

2012.01.29
「主の血に与る」:Ⅰコリント10章14~22節

  先週は試練に耐え、解決の道を主は備えて下さっているから、不平やつぶやかないで主を信じて行こうとの励ましをいただきました。
本日は聖餐式に与る時の「主の御体と血」に対する勧めです。

① 杯はキリストの血に与ること、裂かれるパンはキリストの体の交わりに与ることですとパウロは言います。キリストの死によって、人が義とされて神との和解の道が開かれたのです。

② キリストとキリスト者および教会との一致に続いて、主にあるキリスト者相互の一致の大切さをパウロは言うのです。一つの体、共同体との自覚が大切です。

③ 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」(ヨハネ6:54)。霊的な出来事が目に見えるリアルティーとして表されます。血と肉はキリストの十字架と復活を表しています。

2012.01.22
「神は真実な方です」:Ⅰコリント10章10~13節

  神を試みた人々はそれだけで収まらず不平、不満をもらすのでした。パウロは昔イスラエル人が捕囚地のエジプトから脱出し、40年間の荒野の旅をしている様子に私たちの信仰を例えているのです。

①色々な状況があるにせよ、人間の不平、つぶやき、文句は神への不信仰、信頼のなさの表れです。不平を言った者は滅びに入るのです。時の終わりが迫っているからです。

②確かに長い430年間の奴隷生活は過酷であり、さらに40年の出エジプトの荒野の旅は大変であったと思います。神につぶやいたり、試したり色々あったことでしょう。

③しかし神は真実な方です。絶えられないような試練に会わせないだけでなく、逃れる道も備えてくだいます。多くの人々がこのお言葉で慰められ、力を得て来ました。神は全能の方です。

2012.01.15
「自らの節制と服従」:Ⅰコリント9章24~27節

  コリント市はギリシャの大都市でした。ギリシャはご存知のように、オリンピックの発生地でした。パウロは皆が知っている競技にたとえて、成熟した信仰を求めています。

①パウロは福音宣教の進展と教会の一致を目指して戦っていました。キリストのからだなる教会に仕える彼は、その責任と奉仕を自覚し、競技者に見習い節制していたのです。

②コリント郊外で2年ごとに競技大会が開かれていたのです。ローマ皇帝は競技好きで、4年毎のオリンピックでは長すぎるとの理由でした。イスムス大会と呼ばれていました。パウロはその例に見習い、神の働きのために節制して備えたのです。

③栄冠を得るために自らの体を打ちたたいて、走り抜きましたとパウロは言うのです。見えない義の冠を神は授けて下さいます。ゴール(天国)を見上げて前進させていただきましょう。

2012.01.08
「福音のために全力を尽くす」:Ⅰコリント9章19~23節

 異邦人宣教の最大の伝道者はパウロです。そしてそのパウロの宣教姿勢と成功した伝道の秘訣が展開されている。私たちに大いに参考となる箇所です。特に23節は重要である。

①すべての人に仕える(19~22節):パウロの宣教姿勢はすべての人の「しもべ」となり、すべての人(相手の立場)のようになったと言う。特に律法関係について多くを述べている。

②救霊のために:パウロの願いと使命は宣教であり、その宣教を通して導かれた人が福音により救われることです。幾人かでも救われてほしいとの切なる願いを持つのです。

③パウロの実生活は福音のためにある:日常の生活すべて(飲み食いを含めて)が、福音のためにしていると言う。ピリピ1:21「わたしにとって生きることはキリスト・・・」と、キリストに生かされ、福音のために全力を注ぐ姿勢に感銘を覚えます。

2012.01.01(新年礼拝)
「神を愛し、隣人を愛せよ」:マルコによる福音書12章29~31節

 「新年の祝福を主によってお祈り申し上げます」。新年礼拝において、今年の教会標語「神を愛し、隣人を愛せよ」との御言葉のメッセージを聞き、私たちは信仰の原点にしっかり立ち戻りつつ、色々な主にある働きを進めて行きたいと思います。

① 私たちの主であるイエス・キリストは、最も大切な戒めは2つあると言われ、「真の神を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい」と言われた。申命記6:4~5で神を愛する姿が示される。

② 第一番は神を愛すること、第二番は自分を愛するように隣人を愛することです。レビ記19:18からの引用です。律法学者の問いにイエスは神の御言葉を持って答えられたのです。私たちもイエス様のように、全ての問題に対し聖書を指針にしましょう。

③ ここでの大切な「愛」は、知識的、人間的な愛(ソフィア、エロース)ではなく、神の愛(アガぺー)です。今年一年間に渡り、色々な働き、伝道、教会形成に渡り、常にこの信仰の原点に立ち、愛を持ち、喜びを持って主に仕えさせていただきましょう。

12月

2011.12.25(クリスマス礼拝)
「御子イエス様の誕生」:ルカによる福音書2章8~14節

 クリスマスの祝福をお祈り致します。神の御子イエス・キリストがお生まれになった喜びの日です。世界中で最初に知らされたのは、ベツレヘムの郊外で羊の番をしていた羊飼いたちでした。

①羊飼いの姿:山野で夜に野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いに、突然に主の栄光がめぐり照らした。非常な恐れを持った彼らに「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。それは救い主メシアの誕生」との御言葉を伝えたのでした。

②羊飼いらはすぐに行動を起こしたのです。町に行き天使の告知を確かめるのです。神の言葉に触れたものは変えられるのです。ベツレヘムの馬小屋に駆けつけ、幼子イエスに会ったのです。

③クリスマスは神をあがめ、賛美する時です。「天に栄光、地には平和、人に愛が」と天使、天の大軍が喜びの賛美を響かせるのです。
私たちも喜びを持ってクリスマスをお祝い致しましょう。

2011.12.18(アドベント第四週)
「主の淑女マリア」:ルカによる福音書1章26~38節

 クリスマスおめでとうございます。キャンドル4本に明かりが灯り、今日から25日にまでの1週間がクリスマス週間となります。
今年は25日にクリスマス礼拝を行います。

①今朝はイエスの母マリアの信仰、生き方から学びたいと思います。
天使ガブリエルから「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」と告げられたのです。突然あなたにそのような声がかかると、あなたはどうしますか。

②マタイ福音書では「受胎告知」がされました。マリアは驚き、戸惑い、恐れ、考え込んだのです。大変な事が起こったのです。
窮地に立たされたのです。婚約者ヨセフも同様です。

③天使は「恐れることは有りません。聖霊によって男の子を産む。その子を「イエスと名付けられ、世界を救う主」となる事でしょう。マリアは全てを神に委ね、心からの讃美を捧げました。

2011.12.11(アドベント第三週)
「神は我々と共におられる」:マタイによる福音書1章18~25節

 本日はマタイ福音書を通し、クリスマスの意味を知りたいと思います。中心聖句は、旧約のイザヤ7:14よりの「インマヌエル」との語です。そして「メシア」という言葉です。

① 婚約中のマリアとヨセフに、受胎告知がされました。恐れと苦悩が始まるのです。万策尽きた時に、夢顕現(天使)の神の言葉に全てを委ねたのです。ここに正しい人の信仰に委ねて姿を見ます。

② インマヌエルとはなんでしょうか。イザヤ書に何回か出てくる言葉で、「神は我々と共におられる」との意味があります。救い主イエスの誕生が、インマエル預言の成就であることを言っています。

③ ヨセフは神からの顕現通り、マリアを妻として受け入れ、その子を「イエス」と名付けた。これらは天使が命じた通りでした。私たちもクリスマスにあたり、信仰の再点検をし、喜びと希望に生かされて行きましょう。

2011.12.04(アドベント第二週)
「平和の君」:イザヤ書9章1~6節

 本日の聖書箇所は有名な「インマヌエル預言」と呼ばれるところです。イザヤの活動した時代は、戦争が絶えず、北イスラエル王国は大国のアッスリアに滅ぼされ、南のユダ王国もかろうじて生き延びていたのです。民は飢え、苦しみ絶望状態の中にいました。

① イザヤはそんな民に希望の預言をし、神は神を信じる者を決して見捨てないと言う。闇の中を歩む民、死の陰の地に住む人々は、光を見、その光は輝いていた。大いなる希望、救いの喜びです。

② しかし、現実には戦争の恐怖、侵略のおののきがあるのです。敵の軍隊の靴音、鞭や杖、武器で住民を脅かし、略奪を繰り返すのです。ガリラヤ地方の民衆は非常に大きな苦しみを受けました。

③ 平和の預言者イザヤは、平和を実現するひとりの王の誕生を預言しました。それが「ひとりのみどり子」でした。メシアであるイエス・キリストの誕生預言とされている勇名な箇所です。その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられたのです。希望の福音となったのです。

11月

2011.11.27(アドベント第一週)
「エッサイの若枝」:イザヤ書11章1~5節

 今年もアドベント(待降節)を迎えました。クランツの4本のローソクに1本火が灯り、4週後にクリスマス週を迎えます。良き備えを持ってクリスマス(主のご降誕日)を迎えましょう。

① アドべントについて:ラテン語(アドベントゥス:到来、来るべき)から来たものです。「キリストの到来」のことです。ギ語(エピファネイア:顕現)と同義で、キリストの再臨(ギ語のパルーシア)を表現する語としても用いられます。

② 聖書の数多くの箇所で「ユダ族のダビデの子孫から救い主(イエス・キリスト)が出ることが預言されています。今朝のイザヤ書11章は「メシア預言」と呼ばれ、9章「インマヌエル預言」と並んで有名です。イザヤが待望するメシア(救い主)は、ダビデ家の家系(ダビデ王の子孫)から現れると言うのです。

③ メシアの特質として、主の霊が留まることですが、その6つの特徴があり、大別では3組に分けられます。「知恵と識別の霊」、「思慮と勇気の霊」、「主を知り、畏れ敬う霊」です。この点において主イエス様こそ真のメシアにふさわしい方なのです。

2011.11.20
「豊かな収穫への感謝」:詩篇65篇10~14節

  今朝は子供祝福式、収穫感謝記念礼拝です。初めにCS(教会学校)のミニ礼拝をしていただき、教会員が理解してCSのために執り成しを祈るようにとの願いがあります。

①「幼子を来るままにしなさい、止めてはならない」と言われたイエス様に見習い、幼子を大切にする教会で有りたいと思います。

②収穫感謝礼拝の意味を学び、いつも私たちに恵みと働きを与えて下さいます神様に感謝いたしましょう。17世紀の初めの頃、信教の自由を求めて英国から102名の清教徒(ピューリタン)がアメリカ大陸に大西洋を2ケ月もかけて渡り、荒地を開墾して、最初の収穫を祭壇に献げて感謝礼拝を持ったことを記念する礼拝です。

③詩篇65編の主題は、豊かな収穫を与えてくださる恵みの神様への感謝です(収穫感謝への賛歌)。私たちの神は祈りを聞かれる神であると同時に、また頼みとすべき救いの神である。21世紀にも変わりない全能の神である。委ねて前進させていただきましょう。

2011.11.13
「主にあって自分を知る」:Ⅰコリント8章1~6節

  連続講解説教に久し振りに戻りました。来週からは教会暦に沿いますので、コリントの手紙はしばらく有りません。今朝はクリスチャンとしてよく突き当たる問題が提議されています。

①異教社会でクリスチャンは、どのように信仰を維持しなければならないかが問われています。偶像の神殿に供えられた肉のお下がりを食べて良いかとの問題が、1つの代表的な問題として言われています。ユダヤ教律法では禁じられた問題だったのです。

②コリント市民生活はギリシャの宗教、文化の影響を受け、公的にも私的にもその中に生活せざるをえないのです。当然、それらの肉は食べます。これらに順じる諸問題は多くあります。

③困難な対応の時に、神に祈り、自分の置かれた立場、他者のことを覚えた時に、信仰の本質に関わる以外では、愛を持って行いなさいと言われる。人を躓かせないためです。深く教えられます。

2011.11.06
「主は羊飼い(牧者)」:詩篇23篇1~6節

 今朝の礼拝は「聖徒の日、召天者記念礼拝」として守ります。先に天に召された方々を偲び、その方々の信仰を尊び、見習う時、同時に改めてそれぞれのご遺族のお慰めを祈るものでであります。

①多くの教会が「諸聖徒の日:オールセインツー(万聖節)」として礼拝を守り、午後に墓前や納骨堂でも式を執り行っています。春はイースター(復活日)に同様に守ります。

②詩篇23編は、病んでおられる方をお見舞いしたときや、告別式等でよく読まれる箇所です。あの偉大な王であったダビデが危険と苦闘した時に読んだ詩篇であると言われています。

③牧羊者の経験から、自分と神との関係とその守りへの感謝わ歌った感動的な詩篇です。何回読んでも神の深い恵みを味わい知るのです。多くの人々が慰められ励ましまされてきた事でしょう。

10月

2011.10.30
「信仰による義」:ローマ書3章21~26節

 今朝の礼拝は「宗教改革記念」として守っています。ルターの宗教会改革は、ルネサンスと並んでヨーロッパ、世界を変え、今のプロテスタント教会の誕生の原動力となった偉大な働きでした。

① 宗教改革の背景と根本精神について:教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂を改築するために贖宥状(免罪符)を発行したことにたいする抗議から始まったのです。お金次第で「天国の鍵」が買える教皇の権威、1枚の紙切れで免罪や、天国資格に抗議したのです。

② 宗教改革の基本モチーフは「信仰のみ」「恵みのみ」「聖書のみ」でした。人が罪赦されるのは、行いやお金を積むことでなく、ただキリストが私たちの身代わりになり十字架に掛かり、血を流してくださったことを信じる信仰のみにより救われるのです。

2011.10.23
「信仰と行い」:ヤコブ書2章18節
説教者:鈴木龍生 師

 この手紙は、離散している十二部族の人たちにあてて書かれている。教会の伝承によると、ヤコブ書は、イエスの弟子やこブによって書かれた。キリスト者として、生きることについて助言をしている。

①ヤコブの手紙は、信仰への攻撃ではなく、信仰があると称しながら、それを行為をもって示すことをしない偽善的信仰への抗議なのである。

②例話は、旧約や田舎の生活からとられている。ヤコブの手紙は、イエスの教え、田舎の日常生活からとった親しみやすい例話の内容など、いずれも類似している。

③パウロは、「愛によって働く信仰」であると語る。同じようにヤコブは、 「行いのない信仰は、死んでいる」と語るのである。ヤコブとパウロは、お互いに矛盾しているのではなく、お互いに補足し合っていると見ることができる。

2011.10.16
「ありのままを生きよ」:Ⅰコリント7章25~31節

 コリントの手紙は他の書簡と少し違うのは、非常に具体的な諸問題を取り扱っているのが特徴です。それだけに当時と今の私たちの状況、背景の理解が必要。通じること、通じないことの分別が大切。

① 今までに「分派の問題、不道徳の問題等」を学んできました。7章は「結婚問題と終末」に触れるのです。6章から続いている問題でもあります。クリスチャンと結婚、未信者と結婚、未婚のクリスチャンに対するパウロからのアドバイスです。

② 聖書は神の言葉です。物事の基本原則を私たちに教えるのです。パウロはその基本原則を当時のコリント教会の状況に適用しているのです。またコリント教会からの質問に答えている内容です。

③ 危急の時、時の迫りの時の背景理解が必要です。そのような状況下では「人はそれぞれの現況に留まるべきである」と言うのです。この世のことに執心していると、神の御心を見失ってしまう。有りのままを主に捧げることが大切です。(マタイ6:33)

2011.10.09
「宣教に生きる教会」:マタイ28章16~20節

 今朝は「ナザレン教会創立記念日」です。アメリカのロサンゼルスで、世界で初めてのナザレン教会、第一ナザレン教会が創立メンバー135名を持って出来たのです。それが1895年10月第二聖日でした。ナザレンは宣教に生きる教会です。

①復活のイエス様の第一声が「宣教せよ」でした。先ず、「行って全ての民を弟子とする」でした。教会や家庭に閉じこもるのではなく、人々の中に出て行く。そして信頼関係を築く。最も親しい人々を愛し、交わりの中で神の聖霊の美を結んで行く。

②人々に対して「父、子、聖霊の名により」バプテスマ(洗礼)を授ける。この肉的な世(死)から、霊的(永遠の命)な神の世界に移してあげる。神の家族と共になっていただく。

③主イエス様が命じられたことを守るように教える。最も有名で大切な「山上の教え(垂訓):5~7章」を中心に、人々に大切な「神の掟」を教える。ガリラヤ地方を隈なく回られて、諸会堂で神の福音を教えられたイエス様に見習って行く。

2011.10.02
「分に応じて歩めよ」:Ⅰコリント7章17~24節

 今朝の聖書箇所は、当時の社会、教会の置かれた状況を考えなければなりません。ローマ帝国の時代背景、コリント教会の構成メンバー等を理解した上で、現在の私たちクリスチャンにどのような教えが可能かを探りたいと思います。

① ローマ帝国下での階級制度は厳しいものがありました。皇帝、支配階級、市民権を持つ者、下層の者、奴隷層、さらに男女差別・・・。
そういう状況の中で「コリントの信徒への手紙」が、パウロによって書かれたのです。

② おのおの召された時(身分)のまま、主から分け与えられた分に応じて歩めと言うのです。私たちに誤解を与えているのでしょうか。それには根拠があるのです。信仰に入った時から「永遠の命」が与えられているのです。世と神の国が明確に区別されたのです。

③ その与えられた神からの賜物に応じて、神との豊かな関わりに入れていただく事が重要と言うのです。有りのまま従うのです。割礼の有無は問題ではないのです。ガラテヤ3:26を参照。
私たちは神により、大きな代価を払い買い取られた者です。

平成23年度・上半期

2011年4月~2011年9月

9月

2011.09.25
「私たちは聖霊の宮です」:Ⅰコリント6章15~20節

 私たちの信仰の土台はイエス・キリストです。それを受けて次に、私たちが「聖霊の宮、神の宮」とパウロは言うのです。宮と言うと目に見える建物をイメージしますが、そうではありません。同じ内容が以前に学んだ3章にもありました。
① 正しい倫理的、道徳的解釈が、娼婦と交わるような体が、神殿となって良いだろうか?自分の体には、自分で支配出来る部分と、出来ない部分があると言うのです。
② 主に結びつく者は、自分の体が主の霊と一緒になると言うのです(ラテン語:ソーマ・クリスティ)。それはキリストの教会を表す言葉となるのです。
③ 3章で学んだ内容でもありますが、「神からいただいた聖霊が宿って下さる神殿」なのです。大きな代価を払い、買い取られたのですから、自分の体で神の栄光を現しなさいとパウロは言う。

2011.09.18
「老いる日まで守る」:イザヤ書46章1~4節

 本日は慶長記念日です。私たちは信仰の先輩の方々を尊びたいと思いイます。聖書でそのことを教えられたいとおもいます。

① イザヤ書46章3節と4節は神の愛を強くあらわしています。長い人生の中で、倒れ伏すときも何度かあったことでしょう。特に年老いたた時は、如何にその思いが深いでしょう。

② 神様の方から近づいてくださるのです。神様はそういうお方です。手を差し伸べてくださいます。年老いるまであなたを背負い、救い出すと言われるのです。なんと幸いなことでしょうか。

③ 「わが子よ、いとし子よ、私がどうしておまえを忘れることがあろうか。あなたの試練の時、苦しみの日に、一組の足跡しか見なかったのは、私があなたを背負って歩いていたからだ。」足跡

2011.09.11
「信仰者とこの世の人々」:Ⅰコリント6章1~7節

 先週は、5章でコリント教会員の中に不品行、不道徳な行われているのに、それを黙認し、取るべき処置をしないでいる問題をパウロは厳しく指摘した事にふれました。本日の6章では、教会の問題を教会内で解決しないで、世俗の裁判に訴える間違いを指摘する。

① 仲間内で争いがあったと言うのです。具体的には述べられていませんが、多分金銭的な不正問題であると言われています。すぐに世俗の裁判に訴えたのです。ここに矛盾を感じます。

② パウロがここで言いたいのは、ささいな事件(ギ語:ピオテーイコス)を法廷に出すのを恥と思っていたのでしょうか。そうでは有りません。教会内にそれを解決出来る指導者いなかった事です。

③ 互いに訴ったえ合うこと自体が敗北ですとパウロは情けなく思いながら言うのです。良く祈り、愛を持って解決したいものです。そうしないならば、世の人に証しになりません。世の裁判官は教会のことも、信仰(霊的なこと等)も分かりません。

2011.09.04
「不道徳な行いに注意」:Ⅰコリント5章1~8節

 9月に入り、秋の伝道シーズンに入りました。私たちは大いに学び、大いに伝道しましよょう。主の祝福を祈ります。

①コリントの都市は商業都市で大いに栄えました。しかしもう一方では「偶像礼拝」が盛んで、アフロデイト(女神アシュタロテ)礼拝が公然と行われ、その女神の神殿に1000人を超える神前娼婦がいて売春が行われていた。教会も倫理的影響を受ける。

②教会にもこの世にもないぐらいの不品行が起こっていたが、放置されて解決出来ていなかったのです。教会の甘い体質がある。
悔い改めのない人に除籍をしないで放置している事を憂いた。

③パウロは自分を誇ると言う「古いパン種」を取り除きなさいと厳しく言うのです。今日は「過ぎ越しの祭り」と、十字架のイエス様の贖罪の「聖餐式」に与りますが、罪を悔い改めて与りましよう。

8月

2011.08.28
「主に忠実な者になる」:Ⅰコリント4章17~21節

 パウロが自分の代理として愛弟子テモテを、コリント教会に遣わしたのです。その目的とパウロの心情が出ています。

①テモテが如何に自分の代理としてふさわしいかを述べている。幼い時からの信仰教育を受けたこと。評判の良い人で、主に忠実な人であったとの事・・・。

②コリント教会の人々のパウロに対する中傷、うわさを聞く。自らも訪問したい思いを訴ったえるパウロの思いを彼らは理解出来ない。指導者の思いを理解したいものです。主の御心を優先にする伝道者パウロです。

③神の国は言葉ではなく力ですと反論します。あなた方は私が行く時、ムチを持って行くことか、それとも愛と柔和な心で行くか、どちらを望むかと問いかける。

2011.08.21
「キリストに導く養育係」:Ⅰコリント4章10~16節

 先週の「聖会」で、私たちはとっても恵まれました。恵まれただけで終わらないで、佐藤 彰先生の血のにじむような一言一言を受け止め、生かししていきたいものです。

① パウロ先生は、使徒としての今日までの自分の姿を素直に証しするのです。彼はいつも「対比」を持って語る特徴があったと言われています。注目しましょう。

② コリント教会に集まる一人ひとりを、愛する自分の子供だと言うのです。養育係が必要です。キリストに導く養育係になりなさいという。でも家庭には父親は一人です。私が父親ですと言う。

③ 福音を通してあなた方をもうけたと言い、私に倣いなさいとパウロ先生は言われる。家庭にとって父に倣うことは当然ですね。でもなかなか言える言葉では有りません。パウロ先生は愛を持って私たちを諭しておられるのです。

2011.08.14
「神の管理者」:Ⅰコリント4章1~5節

 4章に入りました。ここでは先ず使徒とそのあり方を述べ、次に使徒と教会について語られています。つまり、どんな場合にも教会の責任を負う者はどうあるべきかと言うことが述べられています。

①パウロは私たちをキリストに仕える者、神の奥義(秘められた計画)の管理者と考えるべきであると言う。仕える者はギ語でヒユべレスと言い、管理者はオイコノモスと言います。

②管理者に要求されるのは、「忠実」であることです。教会の責任をゆだねられている者は、神への忠実、人への忠実さが求められます。もしその忠実さが失われた時は、大きな教会でも無意味になる。

③キリストの裁きに先立って、人をさばいてはならないとパウロは言います。私を裁く方は主です。その裁きは、闇に埋もれていたものを明るみに出し、真理を明らかにするのです。

2011.08.07
「神の聖なる神殿」:Ⅰコリント3章10~17節

 8月の「平和を祈る月間」について、礼拝の前半で互いに「平和の祈り」をいたしました。世界に早く「神の平和」(マタイ5:9)がきますように願います。戦争や飢餓やもろもろの悲しみが無くなることを祈りましょう。

①パウロは熟練した建築士のように土台を据えたと言いました。その土台はイエス・キリストですと言う。アポロでもないし、パウロでもないのです。どんなに優秀でもです。そして神からの恵みによって上棟していくのです。「金、銀、宝石、木、草、わら」で建て上げられていくのです。各自の役割も明瞭になると言うのです。

②神からの恵みによって土台が据えられ、その上どのような教会を建て上げて行くのか、どのような方法で形成しゅるのかが重要です。試練の中も救われて今があると言う。

③驚くべき言葉が出てきます。「あなたがたの内に神の霊が宿って下さっている神の神殿」だと言うのです。今よく言われている「プレゼンス」という言葉です。「共にある、現存在」というそうです。その神殿を壊すものがいれば、その人は滅ぼされるのです。

7月

2011.7.31
「成長させて下さるのは神です」:Ⅰコリント3章1~8節

 大都市のコリント教会の大きな問題は、「分派」の問題でした。パウロは1章で「キリストの十字架」、2章で「御霊の力」、そして3章で「成長させてくださる神」に視点をおいて力強く語ります。

① あなたがたは相変わらず肉の人、乳飲み子、ただの人として歩んでいるとパウロは問いかけるのです。成熟していないのです。大人になっていないのです。

② 繰り返し言われていることは「分派」のことです。コリント教会の人々は、アポロやパウロをかつぎ出して争っていました。これらは「肉の働き」です。2~3章で3種類の人々が出てきています。「生まれながらの人、肉の人、霊の人」です。教会の問題や、逆に成長を目に見える形にとらえている。

③ 諸問題や、教会成長等を人の働きのみにとらえて、背後にある神の働きを見失うような霊的な目を持たなくなっていたのです。福音宣教も教会形成も、人のことばかり気にしないで、成長させてくださる神に目を留めましょう。

2011.7.24
「神の霊・世の霊」:Ⅰコリント2章10~16節

 神の奥義、知恵は啓示によってのみ知り得るものです。神の知恵と神の奥義にふれて、パウロは以下の事柄に追及しています。

① 神の奥義、知恵は何によって啓示されたのでしょうか。「御霊によって」です。御霊は全てのことを探り、神の深みにまで及ぶのです。人間的な手段ではないのです。たとえそれがどんなに優れていたとしてもです。

② 御霊はその探りの過程で、光を投じるために人の内側を点検されます。人の心を知れれるのは御霊のみです。信仰者、クリスチャンは神からその霊を受けています。それは世の霊ではないのです。信仰者はこの神の霊により、神の深い意思、御旨をしるのです。

③ 生まれながらの人は、この神の御霊の臨在がないのです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえるのです。成熟した信者は、十字架の福音だけでなく、広く万物、状況を理解することが出来るのです。成熟したクリスチャンにならせていただきましょう。

2011.7.17
「成熟した人」:Ⅰコリント2章6~9節

 パウロはコリントの教会員に成熟して、神の知恵を語りなさいと勧告します。それはこの世の知恵ではなく、霊的に導かれた神の奥義である十字架の純福音です。十字架につけられたキリストだけを宣べ伝えたのです。

①成熟(円熟)した人々の交わりに入る幸い:先ず教会内で交わり、祈り合い、証し合い、神の知恵を学び、理解して心に受け入れることから始まるのです。神の知恵(知識)はギ語でソフィアと言われ、旧約では神を畏れ、神に服従することを根本とし、新約ではキリストを知り、従うことでした(コロ2:3)

②隠されていた神秘としての神の知恵:神の奥義は霊の啓示により初めて知ることが出来ます。生まれ変わって聖霊を受けていない人は、神の奥義の十字架が愚かなものに見えるのです。エフェソ1:17を信じる。

③神の先行性:まだ知らなかった時、理解出来ていなかった時、思いも浮かばなかった時に、神はすでに備えていて下さったのです。神を愛する者たちは幸いです。成熟したクリスチャンにならせていただきましょう。

2011.7.10
「霊と力の証明」:Ⅰコリント2章1~5節

  パウロはコリント教会が分派に陥り、健全な成長が妨げられているのを憂い、十字架につけられたキリストについてのみ語りました。十字架の言葉こそ神の力であり知恵なのです。キリストにあってこそ1つになることが出来ます。

①宣教の極意:優れた力、才能、知識でするのでしょうか。宣教は神の御霊の働きがなければ実を結びません。パウロは優れた才能を持つ伝道者でしたが、彼は人を救いに導くのは御霊の力であるころを知っていました。

②証しの力:パウロは十字架のイエス様、十字架のことばを語りました。神の証しを宣べ伝えました。イエスの罪の赦し、キリストのよみがえりについて淡々と語りました。決してそれは雄弁では有りませんでした。平易に語り、救いの証しをありのまましました。御霊の力がバックアップしました。

③パウロの説教、宣教とは:世界最大の偉大な福音宣教者(世界最初の異邦人伝道者)、名説教家ではなかったのです。雄弁であろうが、なかろうが「十字架のキリスト」は変わりません。聞く側の信仰です。聖霊の執り成しがあるか、無いかです。十字架信仰があるか、どうかではないでしょうか。

2011.7.03
「神の選びとは」:Ⅰコリント1章18節、26節~31節

  先週には「分派」について学びました。「私はパウロにつく、アポロに、ペテロに、いやキリストにつく」と、各自が勝手なことを言い出した事を学びました。そうなると健全な教会形成が出来なくなります。そこでパウロは「十字架のことばに帰れ、十字架のキリストにつけ」と勧告するのです。

①十字架のことばは神の力です(18節):今朝の説教の中心聖句です。
 イエス・キリストが私たちの罪の身代わりになり、十字架で死んで下さった事によって罪の赦しが成就したのです。そして復活の命に与るのです。
十字架のことばは
 Ⅰ.イエス・キリストご自身と、福音を意味します。
 Ⅱ.信じない者(滅んで行く者)には愚かなものと見る。
 Ⅲ.信じる者には真の救いとなり、神の力となるのです。

②人の知恵と神の知恵について(19~21節):人の知恵に対する神の勝利(十字架の勝利)を、パウロは旧約のイザヤ書29:14を引用して迫ります。人間の知恵、力は神の前には空しいものなのです。福音の御業、十字架の事実を神からのものとして信じ受け入れることです。

③神の選びとは、人の選びの基準とは違います。この世的に優れている人ではなく、無に等しい人、無力な人を、あえて選ばれ召されました。それは、神が愛された人でした。私たちは、その主を誇りとします。

6月

2011.6.05
「神は真実な方」:Ⅰコリント1章4節~9節

 6月から「コリントの信徒への手紙」に入ります。皆さんからのご要望が有りましたので、しばらく学びたいと思います。これからの当教会の教会形成にとっても大切になる事でしょう。

① この手紙の背景について
この手紙の宛先のコリントの教会は、使徒18:1によればパウロが第二伝道旅行の際(紀元49年頃)、アテネから来て、天幕職人のアキラとプリスキラの夫婦に支えられて形成したと言われています。1年半滞在、シルワノやテモテに助けられて基礎を作りました。

② コリント市と教会について
ローマ帝国のアカイア州首都で、多くの民族が混在し、国際的な交通、通商の要地でした。多くの異教の神殿、風俗店があり、教会も多様な人々の構成で、分派もあった。

③パウロはその状況を愁い、真実の神を示し、神の恵みを証し、しっかりキリストに結ばれること、主の再臨を指し示し、待ち望む者とされることを強く語るのです。神は私たちを神の子と呼んで、主イエス・キリストの交わりに入れて下さるのです。

2011.6.12
「神の輝きを見る」:イザヤ書35章1節~4節

 ペンテコステ(聖霊降臨日)の祝福をお祈り致します。
教会3大暦の1つで、イエス様の昇天後に約束の聖霊が豊に弟子たちや人々に降臨したのです。また、本日は花の日子どもの日です。両方の祝福を祈り説教をします。

①「花の日、子どもの日」についての意味は、1856年の6月第2主日に米国のマサチューセッツのチャールズ・レオナルド牧師が、教会で児童が神様を信じ、両親が子供を神に捧げる日として、聖書や花を贈り、神様が作られた自然や花、小さき物を愛する心を教えたのです。

②ペンテコステ(聖霊降臨日)の意味は、ギ語で「50番目の日」と言い、主の復活祭から50日に祝われ、約束の聖霊が降臨し、教会が出来た日でもあるのです。宣教、教会形成には聖霊の支えが切に必要です。

③荒れた地が神の恵みにより、豊かな地へと変えられて行く姿を、自然の姿(例:花々、地)を通して語られる。回復のメッセージは今の私達に語られるのです。

2011.6.19
「父の諭し」:箴言6章20節~23節

 今朝は「父の日」礼拝です。5月の母の日礼拝に続いての記念礼拝です。母の日に比べて少し弱い?感じではありますが、大切に守りたいものです。礼拝が祝福されますように祈りましょう。

① 父の日の始まりについて:父の日の歴史としては1910年、妻を亡くし男手一つで6人(男5人、女1人)を育てくれた父ウイリアム・ジャクソン・スマートに感謝したいと、娘のジョン・ブルース・ ドット夫人が提唱したのが始まりと言われています。

② それはアメリカ全体に拡がり、1916年にウイルソン大統領により認可されましたが、正式に祝日となったのは1972年でした。実に56年後でした。日本でも1950年頃から始まり、一般行事となったのは1980頃です。健在者には赤いバラ、亡くなっている父には白いバラを墓前に供えたと言われています。

③ ユダヤ人家庭での教育:真の神様を信じ、聖書を中心とした「教え」がなされて来ました。それが「父の命令(戒め)、母の教え」でした。父の戒めはギ語で「パテール・エントレー」と呼ばれ、特別の権威を持って語られるのです。子ども達はその大切な教えをテフィッリーンという小箱に入れて左手に巻きつけて持つのです。

2011.6.26
「主にあって固く結び合う」:Ⅰコリント1章10節~17節

 Ⅰコリントの信徒の手紙に入っています。
1回目に概要、背景を説明しましたが、コリントはギリシャ南部の港湾に面したローマ支配の一大国際商業都市です。教会も成長と共に色々な問題も有りました。

① 教会内の分派争い:アポロ派、ペテロ派、キリストロ派と多様であった。それに対してパウロは「皆、勝手な事を言わず、仲たがいしないで、心を一つにして固く結び合いなさい」と言う。

② 洗礼の問題:パウロに授かったと自慢する人がいたので、私は何人にも授けてはいないと言う。教会の生命線は頭であるキリストです。主にしっかり結びついているかが大切です。

③福音を告げ知らせることが最優先にされなければいけません。キリストの体に結ばれる時、私達の自己中心的な心や思いも十字架ではりつけにされました。教会に一致が与えられる。人の力でなく、神の御手で一つとなる。

5月

2011.05.01
「初物をささげ、主を敬う」:箴言3章1節~12節

 新年度も5月に入りました。先週は「イースター礼拝」でした。共に復活の恵みに与りました。今月は旧約の箴言を学びます。

① 主の教え、戒めを守る
イスラエルの子ども達は、幼いときから律法の教師や両親から神の教えと戒めを学びました。主にあって訓戒、教育を受け、将来に良き備えと長寿を与えられるのです。

②心を尽くして主に信頼する
有名な聖句の5節です。自分の力の限界を知り、主により頼むことになるのです。どこにあっても主を認めよと言われています。主を畏れ、真すぐに主の道を歩く。

③ 神の約束
初穂を捧げ、主を敬い、礼拝する者に神の恵み、収穫が豊かに与えられる。時には懲らしめ、試錬は神の訓練です。神は本当の意味で、試錬や訓練の中で、心を尽くして主に頼むことを求めておられるのです。

2011.05.08
「「母の見守り」:箴言4章1節~9節

今朝は「母の日礼拝」です。お母様方に感謝する時です。その聖書的、歴史的な意味を学び、なお一層深めたいと思います。また、信仰継承に励みたいと思います。

①母の日の始まりについて
1907年にアメリカのウェストバージニア州に住むアンナ・ジャービスという女性が、母の命日に追悼会を開き、母の好きだった白いカーネションを飾り、母を偲んだのが始まりです。

②母の日の制定について                                             
クリスチャンで米国初のデパート王のワナメーカーは、翌1908年にシアトルの自店で母の日の催しものをして、顕彰した。ウイルソン大統領の知るところとなり、その提案で1914年5月第2日曜日が国の祝日と認められました。

③知恵の書と女性
父母の教えを守る子は幸いなり(アシユレー)と呼ばれます。その特別な愛と教えで育てられる子は、信仰の継承を心に受け止め、決して忘れない。

2011.05.15
「良き知恵と諭し」:箴言1章1節~9節

箴言はユダヤ人の生活や教育に大きな影響を及ぼしました。この「知恵、訓戒、悟りの言葉、知識、思慮」が内容になっていますが、私達の生活にとって大きな指針になります。

① 箴言の言葉の意味について
箴言(へ語:ミシユレー)の箴は、鍼灸治療で使う「ハリ」のことです。昔は竹製でしたので、竹かんむりの形で書くのです。ハリのように心に突いていただくように学ぶのです。

② 今朝の中心の言葉は、知恵と知識ということです。共に「倫理的、道徳的に優れた人生を送る教え、指針、力」を表しています。知恵(ホークマー)、知識(ダバット)は常に訓戒(ムーサール)と結びついています。

③ キリストの内に、知恵と知識との宝が隠されている」とコロサイ2:3にあります。「主を畏れることは知恵の初め」とあり、最優先事項となります。父の訓戒、母の教えが家庭にあることは幸いです。その源が神様の教えにあるのです。

2011.05.22
「神の霊と言葉に満たされて」:箴言1章20節~27節

 本日は当教会の創立58周年記念礼拝です。
真に感謝なことと同時に、祝福された礼拝となりますようにお祈りいたします。初期の方々の熱き思いを引継ぐのは私達の責任ではないでしょうか。

① 知恵の書である箴言で、比喩的に「知恵が叫ぶ」との表現をとるのです。大変興味深い内容です。叫ぶぐらい騒がしい社会であると言うのです。

② 浅はかな者、不遜な者はその事に愛着や好みをもつと言うのです。そんな人には悔い改めが必要なのです。主に立ち帰る事が大事です。

③ 神様は色々な方法で私達に語りかけてくださるのです。先ほどのように人を通し、また直接に聖霊を通し、人の心に語られるのです。神のささやきを心の耳で聞きましょう。

2011.05.29
「喜びをもって主に仕えよ」:ローマ書12章1節~8節
説教:石田 学 師(日本ナザレン教団理事長・小山教会牧師)

 本日の説教は、教団理事長の石田学牧師がローマ書から語ってくださいました。

4月

2011.04.03
「ゲッセマネの祈り」:マルコによる福音書14章32節~42節

  最後の晩餐を弟子達とされて、祈るためにイエス様は、ゲッセマネに行かれました。イエス様の祈りと弟子達の姿を学び、私達の信仰がレント(受難節)の中で問われます。

①ゲッセマネについて
 エルサレムを見守る対面のオリーブ山に、ゲッセマネ(油しぼり器)の園があり、イエス様は、祈るために行かれました。

②イエス様の祈りと弟子達の眠り
 孤独なイエス様の祈りと、疲れて眠ってしまった弟子達の姿を、私達は、どのように受け止めたら良いでしょうか。イエス様も生身の人でしたので、苦しみ、悲しまれました。罪のない方が全ての罪を背負って、十字架に付いて下さる僕の姿でした。

③目を覚まして祈る大切さ
 弟子達を責めるのではなく、私達は、このレントの中で各人が祈り、少しでもイエス様の祈りに与らせていただきたいものです。十字架を負わせて頂きましょう。

2011.04.10
「イエスの逮捕」:マルコによる福音書14章43節~50節

  レント(受難週)の中で、イエスの逮捕という痛ましい出来事は、私たちに衝撃を与えます。ユダに裏切られ、他の弟子たちも皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったのです。

①12人の弟子の1人であるユダについて
 銀貨30枚でイエスを売り渡したユダの思いはどうなっていたのでしょう。名前の由来がすごいです。

②裏切りのサインとして、イエスに口付けした。そのユダにイエスは悲しい目をもって見つめます。何故ならイエスは、これから起こるであろう出来事を知っておられたからです。

③彼らが「ナザレのイエスだ」と言うとイエスは答えられたのです。「わたしである」ギリシャ語で「エゴー・エイミー」という有名なことばです。わたしたちの主は、イエス・キリストです。

2011.04.17
「十字架の死と埋葬」:マルコによる福音書15章33節~41節

 最後の晩餐を弟子達とされて、祈るためにイエス様は、ゲッセマネに行かれました。イエス様の祈りと弟子達の姿を学び、私達の信仰がレント(受難節)の中で問われす。

①ゲッセマネについて
エルサレムを見守る対面のオリーブ山に、ゲッセマネ(油しぼり器)の園があり、イエス様は、祈るために行かれました。

②イエス様の祈りと弟子達の眠り
孤独なイエス様の祈りと、疲れて眠ってしまった弟子達の姿を、私達は、どのように受け止めたら良いでしょうか。イエス様も生身の人でしたので、苦しみ、悲しまれました。罪のない方が全ての罪を背負って、十字架に付いて下さる僕の姿でした。

③目を覚まして祈る大切さ
弟子達を責めるのではなく、私達は、このレントの中で各人が祈り、少しでもイエス様の祈りに与らせていただきたいものです。十字架を負わせて頂きましょう。

2011.04.24
「復活と大宣教命令」:マルコによる福音書16章14節~20節

イースターおめでとうございます。今年も共に主のご復活日を覚え、祝福をお祈り致しましょう。主イエス様の復活の顕現を受け止めた人々の姿、そして弟子たちに命令された「世界宣教:グレートミッション」は、私達にも託された大切な命令ではないでしょうか。                       

①復活の日の出来事
 週の初めの日の朝早く、女の人たちは香油を持ってイエス様の埋葬してあるお墓に行きました。墓は空でした。驚く女の人たちに天使は「あの方は復活して、ここにはおられない(エーゲルセー)」と言われた。

②復活の顕現
復活されたイエス様に最初に出会った女の人(マグダラのマリヤさん)は、何と幸いな人
でしょうか。復活の良きおとずれ(福音:グッドニューズ)は、たった一人の女の人だっ
たのです。次に名も無きニ人の弟子だったのです。

③不信仰な弟子たちに「世界宣教」の命令
「全世界の全ての人々に主の福音を宣べ伝えよ(グレートミッション)が、復活のイエス
様の命令でした。そして、福音を信じない者は滅び、信じる者は救われると宣言されまし
た。宣教に一歩踏み出した時に、主も共に働いて下さるのです。ハレルヤ。

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